水銀奇譚を介して見た過去
こんにちは、宮原です。
最近アナグラムに凝っています。自分の名前でやったり、他人の名前でやったり。自分の名前で出来がいいものは、どこかしらで使っています。因みに僕のTwitterやはてなのIDも、アナグラムです。
さて、タイトルのこと。
水銀奇譚(ミステリーYA!/牧野修)を、6,7年ぶりに読みました。僕の人生の転機に読んだ作品です。その当時は悪い方向に転じましたが。
内容。兎角綺麗。綺麗極まりない。
頭の中に浮かび上がる情景が、透き通っている。
とまあ、この辺りは6,7年前と全く変わらない事を考えていたわけです。
僕が驚いたのは、その綺麗さの不変具合です。
過去と同じ感想を抱き、過去と同じ考えを持つ、少し成長したはずの自分。
でも、全く変わっていませんでした。
僕宮原優磨は過去からずっと逃げてきた。
その過去を無かったことにしたくて、たくさんの事をしてきた。時には人に迷惑もかけた。しかし、今となっては、僕は過去を思い返す事ができるだろう。
過去の自分が嫌いなのは事実です。できれば無かったことにしたいのも事実です。
しかし、幼き日のあの自分と、現在の自分の、変わらなさと言ったら。
僕は、ちっとも成長していないのではないか。前を向けていなかったのではないか。
少しだけ悲しくて、少しだけ嬉しい。まだ、戻れる気がしたから。
長い年月を経て、ようやく読み終えることのできたこの作品。
実を言うと、つい先日までタイトルを失念していたのでした。著者ですら忘れていた。ガッデム。
しかし、ふとしたきっかけで思い出すことができました。
きっかけとは、過去の自分が今の自分に残した、消さずにいたそれ。小説でした。
今思えば、それは過去の自分からのメッセージであったのでしょうね。
一時だけ晴れ間が見えました。
今度こそ、前を向いて。後ろの自分を抱きかかえて。
歩いて行きましょう、最後まで。
たったひとりの人間が
おはようございます。宮原です。
尋常じゃないくらいの早起きをしてしまいました。参った。
さて、僕はTwitterを結構やり込んでいる方だと思います。
それもごくごく限られた交友関係の幅において。
所謂「メンヘラ」と呼ばれる彼女たちと、僕は仲がいいです。
そんな中で、1人の女性の失踪(死亡した明らかな証拠が無い為こうさせていただきます)したことで、所謂「界隈」と呼ばれる人たちがザワつきました。
それ以降そのざわざわは収まることもなく、好きだった同士で喧嘩して、はたまた好きだった同士で慣れ合いを極め、次の「彼女」の後継者争いをしているかのように見えます。
はっきり言いましょう。無理です。
メンヘラ神が二度と生まれないように、仮に結城さんとしましょう、結城もまた生まれません。
何故でしょうか。Twitterではフォロワー数や慣れ合った人数で影響力が違い、こいつが気に食わないとなると集中砲火を浴びせる。
そういった人たちが、全く僕に関係のない、ただのフォロワー同士であったり、はたまた一切関わりのない人間であれば気にしません。
ですが、今回のこのざわつきは、僕とかつて慣れ合った子達同士(しかも未成年が大半です)で、タイムラインに悪態を垂れ流したりしているわけです。
目を覆いたくなります。僕がかつて好いた人間達が、衝突して、醜い泥かけ論とも言えるくだらない論争をする。結局は文句があるだけじゃないか。
どうでもいいんです、僕に直接当たってこなければ。
それでも目障りなものは目障りなのです。
さて、早起きしてしまいましたので、サークル(仮)の知人に頼まれたSSや長編を今日は書き上げたいと思います。
図書館で借りた本や、買った本もそろそろ読破しなければ。
昨日、初めて詩という物を書きました。
きっかけは友人が、はんこをくれたことでした。
案外、詩を書くのは面白いものですね。形式を理解することから、始めようと思います。
では、宮原でした。
夢は見なかった
おはようございます。安定の早朝覚醒、宮原です。
遂にPCがイカれて参りました。困った。お金ないのに。
さて、夢は見ませんでした。ベゲタミンが日中の眠気の正体かと思いましたが、どうやら違う模様。
早朝覚醒にも困ったもんです。3時間ほどしか眠れなかった。
さて、昨晩はハルシオンでふわふわしながら、いろんなこと、主に将来について思考を巡らせていました。
困ったことにお先真っ暗です。PCも壊れそうですし。
1度きりプレイして放置していたLOLや、インストールしたもののプレイしていないハンターヒーローとかを消す作業に入ります。
正直PCの中身の整理は嫌いです。部屋の整理はまだできるのに。
今朝はあまり気分が優れないです。
まだブログを更新する、といったくらいはできますが。
僕は毎日アナログで日記を書いているのですが、結構な量になりましたし、書籍化とかできればいいのになあ、なんて思ったりもします。
しかし、書いているのはほぼ毎日同じことばかり。大体死にたい、か辛い、と書いてあります。
アニメでわかる心療内科で、自分の気持を吐き出す日記を書くことはいいことだ、なんて言っていましたが、一向に気分は晴れません。
それと、僕は何故だか日記の中ですらも素直になれません。嫌な性格です。人前のみならず、自分の中でも素直に感情を吐き出すことができません。ですから、死にたい、なんて暗い事を考えてしまうのでしょうね。
今日は、巷で話題のイニシエーション・ラブを見に行く、予定ではありました。ですが、あまり体調も優れませんし、ドライブ程度に止めておこうかな、なんて考えています。
見たいことは見たいのですが、いかんせん体調が。
一緒に行こうと約束していた人間には申し訳ないが、今日は引きこもるかドライブか、ですね。辛い。
辛い辛いと毎日嘆いているものの、何が辛いのかも分からない。
それがまた辛い。
止まない雨は無くとも、心のなかで降り続く雨は未だ止む気配がない。
アル中の道に片足を突っ込んで
こんにちは。宮原です。
昨夜は散財しました。金が無い。財布に3千円くらいしか入ってない。ヤバイ。そろそろ働くことも視野に入れなければ(クズ)
さて、昨夜朝まで飲んだことも有り、この時間に目が覚め、することもなければモチベもないので悩んでおります。本でも読むか。
先日遂に、主治医にアルコール依存に片足突っ込んでるからやめなさい、と言われてしまいました。やめなきゃいけないですね、分かっているんですが、難しい。
心の拠り所が欲しいだけなんです。
もう夢に振り回されて散財するなんてごめんです。
今日は図書館から借りた本を読み、即興を書き上げ、長編をいじろうかと思います。
苦悩する一部
おはようございます、宮原です。
試しに先日処方されたベゲタミンBを抜いて、代わりにベンザリンを飲んだら早朝覚醒してしまいました。どうやらベンザリンではもうダメみたいですね。それでも4時間ちょい寝れていますが、睡眠効率がガタガタ。
さて、朝から一部は苦悩しているようです。「時雨」として存在して欲しい、と、厄介な人間にお願いされているのです。「東雲」ならまだともかく……と言ったところ、らしいですが、問題はそうではない。
その人間に、「宮原優磨」としての存在を認めてもらっていない、つまり僕という全体を認めてもらっていない、ということになります。言ってしまえば、僕の都合の良いところだけを好んで、それ以外は不要、寧ろ嫌い、ということですね。
全てひっくるめて1人の人間であるというのに、わざわざ感情の波に名前をつけてしまった故、波の中の「人当たりがよくて優しくてやや女性的」な部分のみを好まれてしまっている。大変遺憾です、僕一個人としては。
あまり声を大にして言いたくはないのですが、僕は「多重人格」に人為的になれるかどうか、という実験をしています。
実際に解離性同一性障害などの解離症状で悩んでいる人には申し訳ないのですが、中二病だから憧れるとかそういうの以前に、「人為的に」なれるかどうか、というのを試しています。なろうと思えばなれるらしいので、全国の中二病の皆さん、その後の苦労はあると思いますが、試したければ試してみてください。
僕は一応それなりの覚悟を持って、試しています。元から解離症状はあり、記憶が希薄な部分があったり、離人症状も元からありましたので、どうせなら突き詰めてしまおう、という寸断でもあります。
医学的・心理学的知識はまだそんなにありませんので、あまり声を大にして言うつもりはありません。勿論病気としての解離障害を蔑ろにするつもりもありません。
ただ、僕は僕自身が嫌いなだけです。
僕の今朝の夢に出てきた、彼女の影響も強くあります。今はもうこの世に居ない、大勢に影響を与え、衝撃を与えた彼女。仮に悠希さんと呼称しましょう。
僕も彼女に衝撃や影響を与えられた1人です。彼女は沢山教えてくれました。
彼女のオンラインになり続けているSkype。どういった仕組みでそうなっているのかは分かりませんが、いずれオフラインになるのでしょう。もしかしたら生きているのかもしれませんが、通話の接続すらできないので、その線は希薄なのでしょうか。分かりません。
夢では、彼女から手紙が届きました。彼を許していること。池袋の彼女のところに通っていること。それから、僕へのメッセージ。ありがとう、という言葉。
どうしても亡くなった人の夢を見ると、夢であるにもかかわらず現実と同一視してしまう、悪い癖があります。ただの夢なのに。ただの僕の中で作り上げた幻想であるのに、彼女が本当にそう言っているような、そんな気がしてしまう。
いずれ僕はこの実験のことも、夢のことも、ブログのことも、創作のことも忘れてしまい、生きる屍となるか、はたまた人間として生活するか、どちらかになるでしょう。そしていずれこのブログを読んで、こんなこと考えていたのだなあなんて、赤面するでしょう。
そこまで見越した計画です。覚悟だけは未来の自分に伝わって欲しい。
それが何年後、何十年後になるか分かりませんが。その途中、僕は死んでしまうかもしれませんが。いつか、こんなことをしていたと想い出す、その日の僕へ宛てた記事でした。
趣味と呼べるものになるまで
こんにちは、宮原です。
いよいよ6月ですね。僕の住まいは東北なので、梅雨入りはまだ先の話になりそうですが。嫌いな季節です。
さて、タイトルのお話。
僕は突き詰めていってしまうと「無趣味」です。
読書やゲームは趣味じゃないのか! なんていう話になりますが、実を言うと年がら年中通して好き好んで読書やゲームをしていた時期が、無いのです。
気分に波のある障害を持っているので、主治医曰くしょうがないことではあるらしいですが、何か1つくらい生きる楽しみが欲しいですよね。
趣味と呼べるようになるには、やはり楽しむ事が前提なのだろうなと思います。あくまで個人的な考えですが……楽しくない読書やゲームまで趣味と言ってしまったら、それはただの”作業”になってしまう気がして、嫌なのです。
僕は読書を年中楽しむことができません。1年のうち半年~数ヶ月は、全く本を読みません。そして思い出したかのように、本を読みあさります。
長期的な趣味ではないのです。ゲームも同様です。
さて、僕の趣味論はここまでにしておきます。何故かと言うと、書くことが思いつかなかったからです。
以下に、僕の好きなもの(現時点)を列挙しておきます。
ジャンル:ミステリ/ホラー/SF/エッセイ
アーティスト:Korpiklaani/Skrillex/MEGADETH/天野月子
ゲーム:ポケモン(XY、ORAS)/オンラインゲーム色々
オンラインゲームに関しては、今は殆どやっておりません。
ラテール/FEZ/PSO2等色々触りましたが、全て引退済です。
音楽はメタルが好きです。初心者です。
他に好きなものができたらまた追加して列挙していこうかなと思います。いつまでこのブログを更新するかもわかりませんが……。
書店という空間
こんばんは、宮原です。
タイトルのお話。
書店という空間は、僕にとって癒しの空間です。
音楽好きな友人がCD屋で数時間潰せるように、僕は書店で数時間潰せます。と、言っても立ち読みは苦手なので、目次をぱらぱらとめくるか、背表紙を眺めるか、くらいなものですが。
今日、知人に腹が出すぎだ、とのご指摘を受けショックを受けた僕は(十中八九酒とつまみのせいですが)運動がてら自転車で15分ほどかかる距離にある、大きな書店に行ってまいりました。
隣の県まで行って探したガダラの豚が、こんな近所に置いてあるとは思わず、ショックを受けました。灯台下暗し、みたいな話です。
そこで、僕は以前話題になった漫画や、中島らも氏の影響でボードレールの悪の華を購入しました。
負の念が強くなりがちな僕にぴったりです。毎晩数ページずつ寝る前に読んでみようと思います。
書店というのは、不思議な空間です。
これまで生涯で読んできた本の数は、ざっと百数冊程度のものです。(漫画は含まず)
そんな中で書店に赴くと、周りは自分の知らない作家、自分の知らない作品で溢れかえっている。
自分の周囲の人間の中でもまあまあ読書家であるほうな僕ですが、書店に行くと自分の知らないことばかり。いい刺激にもなりますし、また、少し不思議な気持ちにもなります。
僕は本という媒体が好きです。デジタルでは到底表せないような、何か特別なものを感じてしまいます。
そんな本大好きな人間でも、知らないものがたくさんある書店。
単に自分の読書量の少なさもあるでしょうが。
僕は書店という空間が大好きです。住みたい。
ところで、僕の読書ペースは非常に遅いです。
特に小説ともなると、集中力が長続きしなくなり、1冊の文庫本を読むのに数日かかります。
主に平日は無職状態なので、時間は有り余っているのですが。
飲んでいる薬や、病も関わっている部分はあるとは思いますが、もう少し早く文章を追えるようになりたいものです。