捨て猫三姉妹

生きる歓びと生き甲斐を

苦悩する一部

 おはようございます、宮原です。

 試しに先日処方されたベゲタミンBを抜いて、代わりにベンザリンを飲んだら早朝覚醒してしまいました。どうやらベンザリンではもうダメみたいですね。それでも4時間ちょい寝れていますが、睡眠効率がガタガタ。

 

 さて、朝から一部は苦悩しているようです。「時雨」として存在して欲しい、と、厄介な人間にお願いされているのです。「東雲」ならまだともかく……と言ったところ、らしいですが、問題はそうではない。

 その人間に、「宮原優磨」としての存在を認めてもらっていない、つまり僕という全体を認めてもらっていない、ということになります。言ってしまえば、僕の都合の良いところだけを好んで、それ以外は不要、寧ろ嫌い、ということですね。

 全てひっくるめて1人の人間であるというのに、わざわざ感情の波に名前をつけてしまった故、波の中の「人当たりがよくて優しくてやや女性的」な部分のみを好まれてしまっている。大変遺憾です、僕一個人としては。

 

 あまり声を大にして言いたくはないのですが、僕は「多重人格」に人為的になれるかどうか、という実験をしています。

 実際に解離性同一性障害などの解離症状で悩んでいる人には申し訳ないのですが、中二病だから憧れるとかそういうの以前に、「人為的に」なれるかどうか、というのを試しています。なろうと思えばなれるらしいので、全国の中二病の皆さん、その後の苦労はあると思いますが、試したければ試してみてください。

 僕は一応それなりの覚悟を持って、試しています。元から解離症状はあり、記憶が希薄な部分があったり、離人症状も元からありましたので、どうせなら突き詰めてしまおう、という寸断でもあります。

 医学的・心理学的知識はまだそんなにありませんので、あまり声を大にして言うつもりはありません。勿論病気としての解離障害を蔑ろにするつもりもありません。

 ただ、僕は僕自身が嫌いなだけです。

 

 僕の今朝の夢に出てきた、彼女の影響も強くあります。今はもうこの世に居ない、大勢に影響を与え、衝撃を与えた彼女。仮に悠希さんと呼称しましょう。

 僕も彼女に衝撃や影響を与えられた1人です。彼女は沢山教えてくれました。

 彼女のオンラインになり続けているSkype。どういった仕組みでそうなっているのかは分かりませんが、いずれオフラインになるのでしょう。もしかしたら生きているのかもしれませんが、通話の接続すらできないので、その線は希薄なのでしょうか。分かりません。

 夢では、彼女から手紙が届きました。彼を許していること。池袋の彼女のところに通っていること。それから、僕へのメッセージ。ありがとう、という言葉。

 どうしても亡くなった人の夢を見ると、夢であるにもかかわらず現実と同一視してしまう、悪い癖があります。ただの夢なのに。ただの僕の中で作り上げた幻想であるのに、彼女が本当にそう言っているような、そんな気がしてしまう。

 

 いずれ僕はこの実験のことも、夢のことも、ブログのことも、創作のことも忘れてしまい、生きる屍となるか、はたまた人間として生活するか、どちらかになるでしょう。そしていずれこのブログを読んで、こんなこと考えていたのだなあなんて、赤面するでしょう。

 そこまで見越した計画です。覚悟だけは未来の自分に伝わって欲しい。

 それが何年後、何十年後になるか分かりませんが。その途中、僕は死んでしまうかもしれませんが。いつか、こんなことをしていたと想い出す、その日の僕へ宛てた記事でした。